ブラジルの首都ブラジリア。
多くの方が「ブラジルの首都はリオデジャネイロだと思っていた」と勘違いしているほど、馴染みも影も薄い首都ブラジリアは、観光地としても人気は今ひとつ。ブラジル人と話をしていても、「え、ブラジリアなんて行くの?何もないよ」と言われる始末。
しかし、それでもブラジルの首都であり、また噂では「人工計画都市」と聞いており、そういう街は豊洲とか部分的には聞いたことあっても、首都レベルで戦後に作られた人工都市というのは非常に気になるところでした。
派手さはないものの、未来都市の雰囲気がたっぷり詰まったブラジリア。そんな首都の歴史と観光をご紹介します。
計画都市ブラジリア。功罪あるけれど、偉大なブラジルの首都。
ブラジリアはブラジルの中部に位置する連邦管轄都市。戦後1957年に首都となった首都としての歴史は浅い都市です。
地図で見てみるとまさにブラジルの中心部に存在しており、まさに首都!的な雰囲気が満載なのですが、歴史的に交易などが盛んだったり、文化の中心にあったりするわけではありません。では、なぜブラジリアが今日において首都として存在しているのか。
これはブラジリア観光をより面白いものにする上で欠かせない知識ですので、さくっと解説しておきたいと思います。
ブラジルの歴代の首都と中部開発の必要性
ブラジルの歴史を振り返ると首都は以下のように遷移してきました。
- 1549~ サルバドール(バイーア州)
- 1763~ リオデジャネイロ(リオデジャネイロ州)
- 1957~ ブラジリア
ブラジリアまではともに港町であり、貿易の中心地でした。サルバドールはブラジル北東部に位置し、欧州列強による奴隷や農産品貿易として栄え、南部に位置するリオデジャネイロは金を始めとした鉱山を持つミナスジェライス州の外港として重要性を持っていました。
このようにヨーロッパによる植民地化以降、ブラジルは主に北部を中心に開発され、その後リオデジャネイロを中心とした南部開発が活発であった一方で、内陸部である中部の開発は遅れていました。
さらに、直近まで首都であったリオデジャネイロがポルトガルの影響を色濃く持っていたこともあり、多民族国家である統一民族国家ブラジルとしてのアイデンティティを保持した新たな首都が必要とされていました。
こうした背景の中で、ブラジルは中部ゴイアス州に新たな首都ブラジリアを遷都させるのです。
- 統一国家ブラジルとしての新たなアイデンティ
- 内陸部への人口の流入
- 内陸部の経済開発
新都市を5年で完成。完全計画都市ブラジリア。
こうして1957年に遷都したブラジリアですが、そもそも今日ブラジリアが位置する地域は未開拓の土地。つまりここは何もない土地にハードもソフトもすべてのインフラが新設された人工都市なのです。
さらに唸るべくは、この都市は着工からわずか5年で完成した都市であるということ(1955~60)。より強烈な表現をするならば、着工から3年以内で首都として稼働が始まっています。
一部地域のみであれば同様の事例は世界中にありますが、20世紀の近代的な首都がわずか3年で利用をスタートしたとは本当に信じられません。
ちなみに世界を見渡すと計画都市である首都には以下のような都市があります。
- ワシントンD.C.(アメリカ合衆国)
- キャンベラ(オーストラリア)
- マドリード(スペイン)
- ニューデリー(インド)
- イスラマバード(パキスタン)
- ベルモパン(ベリーズ)
- アブジャ(ナイジェリア)
- アスタナ(カザフスタン)
- ネピドー(ミャンマー)
ただし、上記のうちワシントンDC、キャンベラ、マドリード、ニューデリーは第2次世界大戦前に遷都した都市であり、またそれ以外もそもそも都市としては古くから存在するものも珍しくありません。
このような世界の計画都市である首都と比べても、ブラジリアがいかにすごい都市であるかを実感することができます。
ブラジリアの功罪。軍政を招いたハイパーインフレ。
ブラジリアが計画都市として一定の評価がされ、また活発な政府投資は内陸地域の開発に多大な貢献をしましたが、一方で急ピッチな計画の実行には弊害もありました。
遷都があまりにも短期間で行われたことで、インフラ投資による財政赤字が膨れ上がり、また各都市と首都をつなぐ道路などは未完成であったために、首都としての機能するためのコストも同様に莫大なものとなります。
この中で顕在化が著しかった問題がハイパーインフレーション。インフラ投資のために海外諸国からの借款返済をまかなえず、紙幣の増刷を繰り返したために、当時のブラジル経済は平均毎年30%を超えるインフレーションが進みます。いわゆるハイパーインフレです。
ブラジリアは1957年に遷都したわけですが、その後インフレによる国民の不満は一気に高まり、わずか7年後の1964年に軍事クーデーターを招きます(この軍事クーデーターは直接的には米国CIAによる反共政策による動きですが、これを成功させる大きな原因となりました)。
課題もあったけれど、異例の世界遺産登録へ
このようにブラジリアへの遷都は、一概に成功や失敗と表現できるものではありませんが、ブラジリアが今日までブラジルの首都として存在しており、また人口3位の都市にまで成長したことは間違いありません。
さて、このブラジリアは1987年に世界遺産に登録されています。
遷都が1957年ですから、わずか30年ほどで世界遺産に登録されたのです。通常、歴史的な町並みの保存などを目的として世界遺産登録がされる中で、この世界遺産登録は極めて異例でしたが、近代的な大規模な計画都市として高い評価を受け、こうした動きにつながっていきます。
このような歴史からブラジリアという街を歩くと無機質な街に様々な意味合いが生まれてきます。
未来感あふれる世界遺産ブラジリア観光のための歩き方
ブラジリアは飛行機をイメージしてデザインされており、ホテルや観光地は一定の地域に集中しています。
このため、主要な観光施設は1日程度ですべて回ることができると多くの観光情報サイトで紹介されていますが、実際に観光してみると2泊3日はあったほうがおすすめということです。
ブラジリア観光を後悔なく楽しむための歩き方をご紹介します。
ブラジリアの全体像と歩き方
ブラジリアの全体像は以下のようになっています。赤い点線部分が主要観光名所、青い点線部分がホテルエリア。
基本的には青いホテルエリアに宿泊して、そこを中心に縦に左右に位置する観光エリアに向かうイメージです。
なお、地図で見るとなんとなく歩いて移動できる距離のようにも見えますが、橋を除く各観光地まででも40分程度かかります。このため、一度観光地の端(紫円)までタクシーで移動して、ホテルエリアに向かって歩きながら観光スタイルがおすすめです(Uberで10レアル程度)。
ホテル選択は施設内での快適さとショッピングセンターの近さが肝
ブラジリアのホテルは上記青い点線の地域にに集中しており、この中であればどこを選択しても問題ありません。以下から簡単にこのエリアのホテルを探せます。
Booking.comブラジリアで滞在するホテルはショッピングセンターが近いホテル、かつ施設内で快適に過ごせるホテルを選択するようにしましょう。
おすすめはMercureです。日本政府関係者や企業関係者も多く宿泊しており、安定のホテルチェーンです。またホテルからすぐのところに巨大なショッピングモールがあります。
上述の通り、ブラジリア観光はホテルを中心に各方面に分かれており、ホテルは移動の中心地となりますが、移動距離がそれなりにあり、一方を見てから他方へ移動する際に一度ホテルに戻り休憩を取ることをおすすめします。
さらに雨季には断続的に雨が降るため、雨の間はホテルへ退避することも少なくありません。こうした際に一定の広さがあったり、ジムなどの施設があるホテルを選択しておくと、余裕を持った旅行が楽しめます。
またブラジリアでは、ショッピングセンター内にレストランが併設されていることもあり、ショッピングセンター近くのホテルに宿泊しておけば食事に困ることはありません。もちろん雨天の際にお土産などを見て回るにも便利です。
ブラジリアの主なエリア別観光地
ブラジリア中心地の観光施設は以下の通りです。まとめて訪問しやすいようにエリア別に整理しておきたいと思います。
ブラジリアは計画都市ということもあり、基本的には建築物が観光名所となります。特に際立つのが建築家オスカー・ニーマイヤーによる建物群。ニーマイヤーはニューヨーク国際連合本部をデザインしたことでも有名なブラジルを代表する名建築家です。
ただし、ただの建築物と侮ることなかれ。ブラジリアの建築物は普通では見られないかなり特徴的なものばかり。モダニズムの象徴として計画された未来都市ブラジリアを堪能できますので、広く観察してみてください。
ホテルエリア周辺
ドン・ボスコ聖堂
テレビ塔
ブラジリアショッピングセンター
三権広場方面(ホテルエリア東側)
三権広場
最高裁判所
外務省
法務省
国会議事堂
官公庁ビル群
カテドラル・メトロポリターナ
ブラジリア国立美術館
国立劇場
クビチェック大統領記念館方面(ホテルエリア西側)
クビチェック大統領記念館
ドキジ・カイシャス広場
その他エリア(ちょっと街から外れた名所)
デジタルテレビ塔
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ジュセリーノ・クビチェック橋
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