僕にとってはあちゅう氏が好きでも嫌いでもなく、あまり興味のない存在です。
名前自体はずっと知っていて、僕の中ではイケダハヤト氏のようなキワドイ発言で人々の注目を集めるタイプだと認識しています。みんなそれが分かっていても、彼らの発言につい食いついてしまうから、ある意味ですごい技術力というか存在感です。
さて、そんなはあちゅう氏のある発言を偶然にもネット上で見つけてしまい、例のごとく大きなエサに食いつきたい気持ちにかられてしまいましたので、少しばかりの彼女の意見表明にコメントをしてみたいと思います。
はあちゅう氏の旅で人生は変わらない論について
先日ネット上で見つけた問題の発言がこちら。
海外にやたら行く自己啓発系の人って「旅=クリエイティブ!クリエイティブな私に、ほらみんな!憧れて!!」というオーラを発しているんだけど、ひとつの場所で淡々と仕事するほうがよっぽどクリエイティブだと思う。私は仕事が好きな人が好きだし、旅人の言葉より仕事人の言葉のほうに重みを感じる
— はあちゅう (@ha_chu) 2016年3月20日
旅での刺激は外部からもらえる刺激なのに対して、日々同じことの繰り返しのように思える、目の前の仕事から刺激を産もうと思ったら、自分で面白さを見出していかなくちゃいけないからだ。そっちのほうがよっぽどクリエイティビティが必要だと思う。
— はあちゅう (@ha_chu) 2016年3月20日
つまり何が言いたいかというと、やたらヨーロッパとかハワイとか行って、ルー大柴みたいな英語まじりの自己啓発文をFBとかに投稿している人が苦手だ。しょうもないことで【ご報告】を多用する女子と同じくらい苦手だああああ…(´;ω;`)
— はあちゅう (@ha_chu) 2016年3月20日
僕はこの発言に対して概ね賛同します。
自己啓発系で海外をネタにしている人の話はたいてい面白くない。今の時代、インターネットを通して様々な情報にアクセスできて、そうした情報に全く触れたことのない人にとっては魅力的でも、同じような経験や成長は国内でも得られるし、内容が薄く感じられるのは当然だと思います。
ただ、はあちゅう氏は「海外旅行」という点にこだわりすぎて、明後日の方向に主張が飛んでいるように思われます。
今までシャイだった人が初めての一人旅で一皮むけるということはよくあることですし、現地の魅力に取り憑かれて人生が変わる人もいます。海外旅行云々というよりも、人が変わるポイントは世界中(国内にも)の様々なところにあるわけでして、人を変える可能性のある諸事象の中に「海外旅行」があったに過ぎないと考えればいいわけです。
そんな力説して話すことではないように思います。そして、はあちゅう氏の意見の中身を見ていると、結局彼女はそういうレベルの人と付き合っているのかと思って納得したりもします。
そもそも、はあちゅう氏の海外旅行観がなんというかレベルが低い
はあちゅう氏の海外旅行の楽しみ方
こういう言い方は品がないのですが。
はあちゅう氏はツイッターでのつぶやきの後、ブログにて補足をしています。その中でこんな発言があります。
昔、世界一周をしたけれど、
正直、旅続きの毎日は、
それほど楽しくなかったです。いつか覚める夢の中にずっといるみたいで、
新しい出会いや風景は
それなりに楽しいけれど、何かごまかしてるみたいで、
どことなく落ち着かなくて。別にエアーズロック見ても
ピラミッド見ても
モルジブの海見ても
モアイ像見ても、
マチュピチュ行っても、
ウユニ塩湖見ても、
ガンジス川に飛び込んでも、「感動」はするけれど
人生観がそこまで変わったりはしません。
はあちゅう氏は学生時代に自分で企業スポンサーをつけて世界一周するほどの行動力はあっても、世界一周に本当に興味があったわけではなく、いわゆるファッションとして世界一周をしていたのだろうと思います。
僕が思うに、観光地を巡る旅行は、ガイドブックを購入した時点で9割型終わっています。だって内容知っているんですよ、ほとんど。それが目の前で再現されただけであれば、感動こそすれ人生観が変わるほどのショックが起きる方が珍しいと思います。
また冒頭でも書きましたが、毎日テレビやインターネットで世界の感動スポットのような紹介をしていて、テレビ局はさらなる刺激を求めてマニアックなところを紹介しまくっているわけで、有名な観光地が何かを生み出すわけがないと思います。
そんな中で『「感動」はするけれど、人生観がそこまで変わったりはしません。』と言われても『本当そうですよね。』としか返しようがありません。
旅の醍醐味は自分の思考を拡張していくということ
で、僕も最初の海外旅行でそう思ったので、具体的な計画は立てずに、旅行は一人でホステルに泊まり、旅の中間経由地を現地人と遊びスタイルで行動します。これは自分が知っている世界を無理やり拡張するためです。
観光地は事前にどんなものか知っているのですが、現地で知り合う人々や世界中から集まる人々が持つ自分とは異なる価値観は自分の思考体系を強制的に広げてくれます。
また旅行先についても、現地の人々から情報をもらって次の目的地を決めます。ガイドに書いてあるものはそれとして、ガイドに書かれていない日本人の知らないスポットは世界中にあります。
僕もシャイだったりするので、こうした状況を強制的に作り出そうとした努力の結果が「一人で(複数人だとどうしても閉鎖的になる)ホステル(自分から声をかけなくても周りが声をかけてくれる)に泊まる」という旅のスタイルになるわけです。
はあちゅう氏のブーメラン現象
こういう発言は大体発言をした当の本人にも当てはまるもので、昔の人は「人の振り見て我が振り直せ」とよく言ったものです。最近この表現をあまり聞きませんね。
はあちゅう氏についていうと、以下のような発言をしていました。
旅での刺激は外部からもらえる刺激なのに対して、日々同じことの繰り返しのように思える、目の前の仕事から刺激を産もうと思ったら、自分で面白さを見出していかなくちゃいけないからだ。そっちのほうがよっぽどクリエイティビティが必要だと思う。
— はあちゅう (@ha_chu) 2016年3月20日
彼女は70日間も旅をしていて何をしていたのでしょか。感動はしても自分が心から喜べるほどの経験がどうすれば出来るか考えなかったのでしょうか。もちろん現地の人との交流もあったと思いますが、そこをさらに深く追ってみようとは思わなかったのでしょうか。
旅にしたって「自分で面白さを見出していかなくちゃいけない」のです。企業をスポンサーにつけて世界旅行をした行動力と頭の機転は敬服に値するのですが、彼女もまた「最初の美しい風景に感動してしまった人」とたいして変わらないのではないかと思ってしまうのです。
世界1周してみたけど大したことなかったわ、みたいな中学生みたいな発言は止めた方が宜しいのではないでしょうか。
結局世界一周をウリ文句にしている人はやっぱり共感できない
あちゅう氏に言いたいことを言った末に結局賛同するんかいと言われそうですが。ただポイントは違う、はずです。
世界一周が自分の軸になってしまっている人がそこまで魅力的でない理由は3つです。
1つ目は、世界1周はWiFiが世界中にある今の時代ハードルがそこまで高くないという点。
障壁があるとすれば時間とお金の問題であって、ネットでいつでも情報が得られる中で世界1周したからと言って、すぐに偉いとかすごいということにはならないということ。もしスマホもパソコンもガイドブックも持たずに世界1周したら僕は尊敬します。かなりハードル高いと思います。
2つ目は、何かを理解するのに世界1周旅行者が1カ国に滞在する時間が短すぎるという点。たった1週間やそこらであの国はどうだったとか上から目線で聞かされてもげんなりします。僕が今ここブラジルにいるのだって、最初に1ヶ月近く一つの国を旅行してもなおまだまだこの国が分からないことがある、理解したいと思って滞在しているわけです。一つ一つの理解が浅いのに、世界を語ったところで「へえ」で終わります。
3つ目は、目的がない点。旅行というのは手段であって、目的ではありません。バカンスは目的ですが、世界1周旅行者はバカンスだとはあまり言いません。偉業を成し遂げたかのような語り口で話す人が多いのです。でも、何のためにやっているのか、ビジネスを立ち上げたいのか、旅行先で彼女を見つけたいのか、言葉を鍛錬したいのか、自分の性格を変えたいのか。学生ならまだしも社会人になってからこの点を明確にせずに世界1周をしている人のほとんどは、はあちゅう氏の言うとおり「逃げている」と言われても仕方がありません。
こういうことをまとめると世界1周旅行者の発言は「軽い」ことが多いのです。僕もこのブログをしている関係で、世界1周ブログを見る機会がありますが、一つ一つの情報がとにかく浅い。インプットは確かに刺激的なのですが、アウトプットがつまらない(僕もブーメランになりかねない発言ですが)。
間違っても皆さん情報商材になるようなものではないので、購入は控えましょうね!
ご質問はこちら Comment/Question