ブラジリアンワックスを世界へ広めた7人姉妹の話。実はアメリカ育ちの文化だった。 | Brasil Tips(ブラジルチップス)

ブラジリアンワックスを世界へ広めた7人姉妹の話。実はアメリカ育ちの文化だった。

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ブラジルはこれからが夏本番。

夏といえば海。海といえばビキニ。そしてビキニといえばムダ毛。

ホットペッパーが公表している最近の調査では、女性の10%が脱毛サロンを利用している他、男性の利用も急増しているようで約4%が脱毛サロンに通っているようです。

サロンだけでこれだけのユーザーがいるわけで、セルフ脱毛も含めれば脱毛そのものが一般的になっていることは間違いないでしょう。

さて、そんな脱毛の代表格ともいうべきが「ブラジリアンワックス」。

ブラジリアンワックスは蜂蜜をベースとしたワックスで、体毛とワックスが密着する性質を利用して脱毛に活用されています。特にVIOゾーンと呼ばれるデリケートゾーンの脱毛に利用されることが多いワックスです。

VIOとは、Vライン(ビキニライン)、Iライン(陰部の両側)、Oライン(ヒップ奥)の総称。

「ブラジルの」ワックスとの名称が付いているため、世界中の人がブラジルで普及して、世界に広まったと信じているかもしれませんが、ブラジリアンワックスは実はブラジル文化でも何でもないってご存知ですか。

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片田舎に育ったブラジル人7人姉妹の話

ブラジリアンワックスの話を始める前に、この話の主人公となるあるブラジル人姉妹の話からご紹介したいと思います。

このお話の主人公となるのは、ブラジルの片田舎Vitriaという街に生まれ育った7人姉妹。彼女達はブラジルの古風な家で育ったごく普通の姉妹でした。

彼女達は上からJocely、Janea、Joyce、Juracy、Jussara、Judseia、Joniceと全員がJから始める名前であるため、この後”J Sisters”という俗称をつけられることになりますが、それはずっと後の話。

この姉妹を育てた父親は「女性は外に一人で出歩いてはいけない」「女性が働くなど危険」といった価値観の持ち主で、そのまま育てば娘達は皆専業主婦になるような家庭で育ったのですが、その父親が破産したことで人生が大きく変わります。

一家を支えるために、サロンを開業した姉妹はその勢いに乗って店舗を3つにまで広げていきます。

その姿を見ていた4番目の妹Jocelyも学校終わりにはサロンに入り浸る日々にいたのですが、彼女には大きな夢がありました。それは海外をその目で見るということ。

Jocelyは決して潤沢ではないその収入から貯金を続け、1982年についに単身ニューヨークへ向かいます。

資金も語学力もゼロからセレブ御用達の美容サロンへ

Jocelyは当初1ヶ月程度の滞在を予定していました。

しかしながら当時の彼女には大金であったはずの数百ドルはニューヨークで生活する上では十分な資金ではなく、数日もすると生活資金は底をついてしまいました。

ここで彼女に残された選択肢は2つ。ブラジルへ帰国するか、またはニューヨークで生活資金を稼ぐか。とはいっても、当時ニューヨークで働くブラジル人女性の多くは「売春婦」として働いており、英語もできない彼女がアメリカで働くことは決して簡単ではありませんでした。

そんな状況で偶然見つけたのがポルトガル人が経営するネイルサロンでの仕事。

当時のつけ爪は糊で付けるタイプのつけ爪で、数週間で剥がれ落ちる上に、爪本体へのダメージも大きかったため、彼女は爪の自然な美しさを求めて爪の補修に注力しました。

彼女のマニキュア技術は瞬く間に噂となり、ある大物セレブの目に止まります。彼の名はアドナン・カショギ。

アドナン・カショギは日本ではあまり知られていませんが、彼はサウジアラビア出身の武器商人で、甥はダイアナ妃が離婚後に交際していたドディ・アルファイド。超セレブな一家のドンとも言える存在です。

カショギは彼女を1日中手元に置くほど彼女の技術を気に入り、その料金は1時間100ドルであったと言われています。そして、ミーティングの合間を縫って爪のケアをさせていたのでした。

カショギを顧客として得たJocelyはそこから一気にアメリカのセレブ界へ人脈を広げていきます。ロッド・スチュワートやブルック・シールズといった一流モデルからElleやMarie Claireの編集者達とつながるようになりました。

その後、Jocelyはブラジルから姉妹達を呼び寄せて、1987年に自らが経営する店舗(その名もJ Sisters)を開店、商売を広げていきます。そしてSEX AND THE CITYやGossip Girlの監修をするまでにそのポジションを確固たるものにしていったのです。

ブラジルでは普及しなかったブラジリアンワックスをアダルトビデオが広めた

さて、このようにニューヨークで大成功した7人姉妹の一人、Janeaがブラジリアンワックスの生みの親であることは今ではほとんど知られていません。

その理由として考えられているのがアダルトビデオメーカー。

ニューヨークで成功したJ Sistersは、ビキニワックス(ビキニラインの脱毛)をサロンのサービスに取り入れました。既に強固な顧客基盤を築いていた彼女達にとって、この新しい文化を広めることは難しくなく、あっという間にワックス脱毛のブームが広まります。

ただし、この時点ではブラジリアンワックスという名称ではありませんでした。それどころかJaneaがこのアイデアを最初に思いついたブラジルではビキニラインを脱毛するなどという文化は全く普及していなかったのです。

海岸の美女を見て生まれたVライン脱毛

実はJaneaがVラインを脱毛するという発想に至ったのは1970年代のことでした。

当時まだブラジルのバイア州に住んでいた彼女は、海岸沿いを散歩していた時にある美女を見かけます。その姿にうっとりとしながらすれ違った時、Janeaは驚愕します。

「小さなビキニの端から毛がはみ出ている!」

そして次の瞬間思ったのだそうです。

「ここに毛は必要なのだろうか。」

思い立ったが吉日。すぐに地元の美容サロンへ行き、自身のVラインを剃毛して欲しいと依頼。しかし店員の返答は当時の文化を考えれば至極当然で、

「一体どうしてあなたの陰部に触れないといけないの!?」

というもの。

それでもどうしても諦められなかった彼女は「自分でやるしかない」という精神で、3時間かけてビキニラインの脱毛を実施。猛烈な痛みを経験しつつも、その後は素晴らしい感覚に襲われたそうで。

とはいえ、ブラジルでこの文化が広まることはありませんでした。

ブームに後乗りしたアダルトビデオ企業への抗弁が生んだ”ブラジリアン”

一方で、90年代のニューヨーカーには大人気となったVライン脱毛。

このブームに便乗してきたのがアダルト業界でした。プレイボーイやペントハウスといったアダルト雑誌では軒並み「アソコも裸」のヌード写真を掲載するようになりました。

さらには当時オンラインアダルトサイトも普及しており、こうしたサイトに掲載される動画の中でも重要なところも脱毛した俳優や女優が多く出演するようになりました。

こうした熱狂的なブームの中では猫も杓子も「自分が最初の発案者だ!」と名乗りを上げるのはいつの時代も同じで、Vライン脱毛で名を馳せていたJ Sistersにアダルトビデオメーカーから苦情が入ってきました。

「最初に思いついたのは我々だ。この文化は我々アダルト業界のもので、ポルノでも配信するのだ

これに対してサロンの経営者であったJoniceは次のように対抗しました。

これはブラジルでは皆がやっていること。私たちはそれをアメリカに紹介しただけ。

結果として、Vラインを脱毛するのはブラジル人の文化で、そして脱毛のために利用するワックスは「ブラジリアンワックス」と呼ばれるようになったのです。

一度ブラジルのワックスというイメージがついたことで、その発案者であるJ Sistersとのつながりは歴史に埋もれてしまったわけですが、実はこんな裏話があったのです。

参考 The women who invented the Brazilian wax(BBC)

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